私の心は参鶏湯

心に溜まった形のないものを言葉に変換できるように藻掻きます

愛ってなんですか

自分は愛されている

そう感じた経験はありますか?

 

私は愛を知りません。よくあるセンチメンタルな意味とかメンヘラな発言としてではなく、愛がなんなのかの答えがまだ自分の中にありません。

 

“愛に正解なんてないんだよ”

 

よくわかります。そうだと思います。

でもみんな自分なりに愛を与えているのでしょう。それが正しいと思って与えているのでしょう。

私にはまだそれができないのです。

優しくすることも、厳しくすることも、甘やかすことも、突き放すことも、どれもが愛という括りになるのならこの世は愛で溢れているはず。

簡単な言葉で片付けられないし、優しさの中に厳しさが含まれていたりする。

愛って難しすぎでしょ。

 

様々な愛のカタチがあって、それがたまたま自分にしっくりきたら相手がどんな人でも“愛されている”と変換できるのだと思います。

 

“壊れるほど愛しても1/3も伝わらない”

 

いや少しは伝わるんかい。と。

それだけでも凄い。

でもって少しは伝わってると思えるそのメンタルが羨ましい。

 

私は愛を知らないから誰かに“愛された”とき、その愛が自分にとってしっくりこなかった場合でも受け入れてしまう。だってその人にとってはそれが愛なのだから。

でも自分からなにかしらの愛を伝えるのは怖い。それが相手に愛と認識されなかった場合、私はその人に“愛されていない”と思われてしまうから。

 

きっと、自分なりの愛にしっくりくる相手を見つけるのが最短ルートなんだと最近は思ってる。

だからといって今ある自分の愛に傲慢になることだけはしない。それはとても危険なことだとわかってるから。

 

こんなにも“愛”と入力することが普段ないから若干気持ち悪くなってきた。

 

私にとっての愛がなんなのかはまだわかりませんが、それはきっと自分以外の愛の在り方を知ることでしか確立できないと思う。

だからこそ愛されたいですね。

結局ただの願望になってしまいましたがそれはもう見逃してください。

 

私で愛、試してみない?